教育学の<ことば> シンポジウムⅠ レトリックとアナロジーの教育学的意味について

  
開  催  日2023年2月18日(土)14時00分~17時00分
開催場所オンライン開催
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お問合せ 岡部美香(大阪大学・人間科学研究科)
mioka@hus.osaka-u.ac.jp
  

 近代教育(学)は、人間の生と人間が生きる世界のものごとを、誤解や齟齬の生じにくい「わかりやすい」ものにして人びと(特に子どもたち)に提供するこ とに力を尽くしてきました。しかしながら、他方ではまた、自然科学をはじめとする実証科学と親和的に発展・展開してきたがゆえに、近代教育(学)は、複 雑で多様な人間の生と人間が生きる世界のものごとを実証科学的に説明可能なもの(すなわち、evidenceが示せるもの)に縮減し、そのような evidence-based な知について教授/学習するための科学的・合理的な方法のマニュアル化を促進してきました。その結果の一つに、事例応用力やア ナロジー的思考の衰弱化という問題が挙げられるのではないでしょうか。 事例やアナロジーは、可視化できないもの、一義的や明示的に語りえないものごとをさし示すことができます。見えないから、明瞭でないから、明示でき ないから存在しないわけではないものごと(例えば、ことばに尽くすことができなかった、誰かに対するあなたの思いなど)を、私たちは、事例やアナロジーを 介することで他者と共有/分有することができるようになります。 今回、企画する2つのシンポジウムでは、可視化することのできないものごとや一義的に明示することができないものごとを語るための技法である事例や アナロジーの教育学的・人間形成論的意味と課題を、思想的および臨床的な観点から考えてみたいと思います。
 シンポジウムⅠでは、1980年代~2000年代にかけて興隆した皇紀夫氏の臨床教育学(物語論)や鈴木晶子氏らの教育詩学と今日の教育(哲)学におけるレトリック論との対話を試みます。教育やそれに伴う諸概念―子ども、大人、教師、学校、そして人間など―を論じる際に、事例やアナロジーはいかなる意味をもち、いかなる作用を及ぼすと考えられてきたのか。これを振り返りつつ、教育学を思考するスタイル、語るスタイル(文体・語り様)の課題と可能性について議論します。